魏志倭人伝誤、邪馬台国論は誤訳だらけだった!
黒澤一功の
古代史の世界にようこそ
真説狗奴国
狗奴国は 句麗國の別称。朝鮮半島の二か所にあった!
狗奴国は東夫餘から分離した高句麗と百済のこと! 
 「卑弥呼Xファイル」の著者がおくる最新情報:
Symbols are language that can help us understand our past.」、シンボルは言語であり、過去を理解する助けとなる (ダビンチ・コード)。
狗奴国は二か国あった!

狗奴国解明へ
主な見出し
第一部

1.原文の配列構造から誤訳を見つける
1.倭人伝現代語全文私訳
1.アプローチ キーワードを定義
  
 1、里の距離について
1、ブロック化について
1、公孫氏について
1、日の出るところに近い国について
1、女国について
1、共立について、
1、女王国について
1.異面について
1、詔について
1、宗について
1、倭国と倭の違い
1、倭人、倭種について
1、減筆について
1、都(ど)について(説文解字から)
1、都鄙の八則について
1、京師について
1、太祖について
1、京邑について
1、京都(けいと)について
1、臺(たい)に詣でるについて
1、闕(けつ)に詣でるについて
1、詣でるについて
1、奉について
1、景初三年銘文の三角縁神獣鏡
1、三公について
1、郡のなりたち
1、至について
1.〇○西行東至〇○、○○、・・・を解読する。
1、驛について、
1、浮屠(ふと)について、
1、行について、
1、水行、陸行、馬行について
1、水行と澤散王城・ローマ間について
1、又字について
1、其字について
1、大率について
1.海中洲について
1.絶島について
1、罽刀(けいとう)について
1、生口について
1、短弓について
1、貝輪について

1.邪馬台国里程論
1.会稽の倭人という考え方
1.九州の地域、女王国と奴国
1.倭国と二つの狗奴国
1.九州外縁の島嶼
1.公孫度と尉仇台と卑弥呼
1.倭の五王は百済王だった
1.七支刀、稲荷山鉄剣、江田船山古墳の鉄刀、八女古墳群、鞠智城、えびの市の古墳、隅田八幡神社人物画像鏡、吉野ヶ里遺跡
1.倭奴国と倭国の違い、金印は偽物
1.漢書地理志 西域伝 西域の一里は249.5m
1.後漢書倭傳はお笑いの傑作ですよ。倭国大乱のうそ
第二部
天皇が仏教に帰依したのはいつごろか
皇極、孝徳の秘密

卑弥呼の卑は鹎だった!ベミといいます。

随書 俀國傳 俀王姓阿每,字多利思北孤,號阿輩雞彌、随書俀國傳の有名なアメノ.タリシヒコの姓名です。王名は阿輩・
彌ですが、この雞は家禽(家鸡)、ニワトリという意味です。彌は「あまねし」、どうしたことか卑彌呼にかさなってきます。転ずれば、文型から、鳥から生まれた一族のということになります。いろいろと候補はあるでしょうが、雞彌の雛(ひなzhī)と、卑の文字は同意とみることができます。鹎(ひなどり)の省略文字が卑なのです。
卑弥呼→鹎彌句
bēi〕ひなどり、と訳します。しかし、どういう意味でしょう?随書 百済伝で、「婢云:「有物狀如雞子,來感於我,故有娠也。」王舍之。」とあります。これは、河伯の女の言葉です。「雞子(ひよこ)のような形をしたものが入ってきました。それに感じてわたしは妊娠したのです。」、王に伝えます。これが受胎の原因ということですが、雞子とは直訳すればニワトリの子です。この短い神話は高句麗建国開祖の朱蒙の誕生神話で、いわゆる天光受胎神話と呼ばれています。卵生神話の一つです。日本でも平安時代までは常識的な物語でした。続日本紀には和氏の上奏文、「それ百済の遠祖、都慕王は河伯の女日精に感じて生めるところなり。皇太后(高野朝臣新笠)はその後なり」・・・日精に感じて生まれたのは都慕王、高句麗の太祖です。都慕王とは別名、東明聖王、古事記では大国主、またの名を葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)と言います。これらは高朱蒙の別称です。なんと、記紀・神代の物語の主役中の主役です。
さて、随書の続きですが、「棄之*廁溷,久而不死,以爲神」、豚小屋に捨てたが死ななかったので、王は以て神となした。」、八千矛神が日神の子だと認めたのですね。実は、日精または日神が三本足の烏(カラス)なのです。 鹎bēi〕は中国辞書では、黒褐色の羽と白い腹をもつ鳥です。

どうやら、卑彌呼と卑彌弓呼の奉じる遠祖(太祖)が共に都慕王(東明聖王)すなわち高朱蒙だったということになります。これだと、卑彌呼に敵対する男王が卑彌弓呼と、弓の一字しか違わなくても納得のゆく説明がつくのです。卑彌呼も卑彌弓呼も河孫(河伯の女から生まれた子孫)だったのです。卑彌呼が扶余女王、卑彌弓呼が高句麗王です。元扶余は公孫氏の配下で高句麗と果敢に戦いました。高句麗とは昔から敵同士です。そして、タラシヒコも、雞彌です。だいたい330年ほど卑彌呼より後の時代ですが、朱蒙を太祖とする末裔だったという驚くべきことが暗示されます。

鹎彌は雞彌と同じで2文字2音ですが、「呼」は「句」の変体文字です。
あなた、「鹎彌句」が元字だったのです。
私たちがヒミコと通称してもまったく問題はありませんが元字は意味を取らねばなりません。
百済も高句麗も扶余から派生した国です。狗古智卑狗の卑も同じです。南の狗奴国も句麗國から分離した国だったのです。変換すると「句臣智鹎句」とすると意味が通ります。



の本字は

bēiの漢字は雛(ひな)で、日本の辞書にはありません。
新華辞典 鹎(鹎)bēi
1.主に黒褐色の羽と白い腹、短くて細い脚を持ち、果物や昆虫を食べる鳥の属。
(鳥類的一屬,羽毛大部為黑褐色,腹白,腿短而細弱,食果實和昆蟲
ーーーーー

東明聖王(とうめいせいおう、トンミョンソンワン、朝鮮語: 동명성왕)は、高句麗の初代とされる王(在位:紀元前37年 - 紀元前19年)であり、東明王、都慕王とも呼ばれる。姓は高、諱は朱蒙(しゅもう、朝鮮語주몽チュモン)または鄒牟(すうむ、チュモ、朝鮮語: 추모)、衆解(しゅうかい、チュンゲー、朝鮮語: 중해)とされる。
『ウィキペディア(Wikipedia)』

広開土王碑=鄒牟(チュム)

高句麗本紀=東明聖王、姓は高氏名は朱蒙、別称 鄒牟、象解

新撰姓氏録=鄒牟(すむ)、須牟祁(すむき)王の後なり。須牟祁王が第一番目の須佐之男=初代東明聖王

新撰姓氏録=都慕王(つぼおう)

続日本紀=仲牟王、都慕王
古事記神代=五人いる大国主命の一人
古事記神代=葦原色許男

河伯(ハベク)の女、名を柳花(ゆふぁ유화)という。(三国史記)河伯族の王の娘。

河伯の女=古事記では沼河比賣(ぬなかはひめ)のお名前で歌を一首詠っています。


简位居(かんいご)=简は姓、位居は”王”。すなわち、简王です。(尉仇台の嫡子。魏志倭人伝・景初2年の難升米の実名?
居:付属形態素 (身を)置く,任じる.【거・コ】
用例
身居要职=要職に身を置く.
以功臣自居=功臣をもって自任する.

位居:位する【”위거イゴ】
ある地位につく

*廁溷(しこん)=廁所
(人糞を豚に食わせていたので厠と豚小屋は同じ構造物になっていた。)=便所のこと

八咫烏は日本のオリジナルではありませんでした。
このカラスには足が三本あるのが特徴です。朝鮮では、三足烏(サムジョゴ)と言われています。紀元前60年ごろから高句麗の朱蒙のトーテムだったのです。中国の桓仁満族自治県の五女山にある高句麗始祖碑の冠帽に描かれている三足烏。日神のシンボルだったのですね。JAFは八咫烏に本家があることを知らなかったようです。
東明王、都慕王とも呼ばれ、姓は高、諱は朱蒙。卒本(朝鮮語版)(チョルボン、現在の遼寧省本渓市桓仁満族自治県)に亡命して高句麗を建国しました。
Photo中:
「三足烏」形象(中国前漢時代の壁画) ⇒⇒⇒



Photo下:
熊野本宮大社 八咫烏 ⇒⇒⇒

足が三本、足の指も三本!黒褐色の羽と白い腹、短くて細い脚を持つ・・・これが特徴です。






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