狗奴国は句麗国のことだった!
摩多羅神は何処から来たのか? 復刻版
黒澤一功の
古代史の世界にようこそ
  卑弥呼Xファイル」の著者がおくる最新情報:
Symbols are language that can help us understand our past.」、シンボルは言語であり、過去を理解する助けとなる (ダビンチ・コード)。

「都」の漢文訓読が誤訳だった。
魏志倭人伝、あなた、「都」を「ミヤコ」と思い込んでいませんでしたか?それは、とんでもない誤訳で、ほんとうは、「辺境の封地」という意味でした。すると、女王は邪馬台国にはおらず、逆に、帯方郡から官を派遣して邪馬台国を支配していたのです。「邪馬台国の女王卑弥呼」というフレーズはウソだったのです。

卑弥呼は九尾狐の子孫だった。
この埴輪はロンドン博物館にあります。顔が朱色です。
女性も朱丹で入れ墨をしていたようですね。
卑弥呼の祖寧(そでい)は、九尾狐(きゅうびきつね)だった可能性があるのですよ。夏王朝の六代目小康の祖父は禹帝です。禹王は三十歳になって涂山(とざん)氏の娘・女嬌(じょきょう)に一目惚れして、「九尾は王者の象徴ではないか」と言って夫婦となりました。この涂山氏は東夷の倭人で、部族のトーテムは白狐だったのです。女嬌(じょきょう)は九尾狐とされ、九尾狐は三国時代には神獣として「九尾天狐」と呼ばれていました。女嬌の顔は倭人の風習、朱丹をもって顔に入れ墨を入れていた!あなた、これが、まさに、「狐の嫁入り」、だったのですね。
紀元前1000年ごろのお話でした。

八咫烏は日本のオリジナルではありませんでした。
このカラスには足が三本あるのが特徴です。朝鮮では、三足烏(サムジョゴ)と言われています。紀元前60年ごろから高句麗の朱蒙のトーテムだったのです。中国の桓仁満族自治県の五女山にある高句麗始祖碑の冠帽に描かれている三足烏。日神のシンボルだったのですね。JAFは八咫烏に本家があることを知らなかったようです。

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